知性に培われたモードによって、女性の美しさは、
様式美/モダンビューティへと進化をはじめている
美に対する欲求。それは人間の本能ともいうべきもの。
生命が持続する限り、決して癒えることのない必然である。
また、人間の美しさとは、眼で見ることができる表層的な身体美と、
眼で見ることのできない内在した深層的な精神美があり、
理想的な人間美、特に真の女性の美しさ/ミューズといわれるものは、
身体美と精神美の両方を兼ね備え、かつ融合された状態である。
その眼に見える美しさと眼に見えない美しさの2つを紡ぎ、交流を促すもの、
それは知性という力であり、真の女性の美しさ/ミューズとは、崇高な知性に裏付けされたものなのである。
美の追求者たちによって、その時代が求める様々な美しさを創造し発信してきたモードの世界も、
いまや知性を中心に構築されているといえる。
新しい哲学や独自の精神スタイルなどをテーマに、
また、服飾という領域に留まらず、アート、建築、音楽などのエッセンスを包合し 、
新しい美を発信するメディアとして機能しはじめているのである。
モードによって創造される新たな理想的な人間美、真の女性美/ミューズ。
それはある意味では様式美/モダンビューティへの進化に他ならない。
もちろん、メイクアップというモードも、眼にみ見える美しさ眼に見えない美しさの両方を融合し創造する 、
よりアーチスティックな力へとシフトをはじめているのはいうまでもない。
 
メイクアップの可能性とは、
知性と心的エネルギーをシンクロさせることによって
新しい美しさを創出することにある。
 
30人の女性がいれば、そこに30の顔があり、30の美がある。
また、ひとつの顔には無限の表情があり、その表情の中にいくつもの美しさが潜んでいる。
メイクアップがその美しさを引き出すことや、その美しさを高めるという目的を持っているならば、
知性に培われたアーチスティックな力が不可欠になるだろう。
なぜなら、表情という顔の中に潜んでいる美しさとは、
幾重にも重なり合った知性によって育まれていくものであり、
それらを引き出したり高めたりという表現行為は、芸術的領域そのものだからである。
創造的交流によって知性と心的エネルギーをシンクロさせ、浮遊する美しい微粒子を誘発する。
そしてそれらを顔の中で新たな美の結晶として高度な表現技術を駆使し、
個としての真の女性の美しさを創造していく。
そこに美の担い手としてのメイクアップの無限の可能性を見い出すことができる 。
モードとしてのメイクアップは、
インタラクティブな知的創造的コミュニケーションを介して、
新しい美しさを創出することを可能にする。だからこそメイクアップアーチストは、
表層的な美しさとしての顔、深層的な美しさとしての顔、
この2つの視点から、 顔を人間の美の象徴として再提起することからはじめなければならないのである。
 
女性にとって知性を覆い隠す超知性は、ひとつの完成された美の領域である。
言葉という手段より身体言語、つまり、瞳の輝き、目線、唇の微妙な動き、
仕草などの情動的とさえ思えるささやかな動作に、本能のすべてを託し、自己表現を極めていく。
女性らしさという、すでに退廃した形式美の観念に対するアプローチ。
本能という生命に直結した美しい力は、
女性の身体能力を覚醒し、即座に官能美の世界を創り上げていくのである。
 
内面的主張のまったくない、完璧な美のフォルム。
内在した力にたよらない表層的な美もまた強い生命力を感じる。
純粋培養としての美。無機質な美。無知性の美。 知性は美しさをより拡張し、深めていくためには必須であるが、
また同時に表層的な美の世界を蝕んでいくのも然りである。
悲しさという感情に支配された無感情を装う美しさのメカニズム。
エロティシズムの本質とはまさにこのことである。
 
リアリティという知性を全身に纏い、美の微粒子を発散する。
それは、生態系としてのフェロモンとは異なり、より意図的、戦略的な行為であるが、
逆にそれがモダニズムの中のミューズとしての資質を予感させる。
しかし、その内なる宇宙に潜んでいるのは、自分自身の存在すら漂流する無秩序な欲求のカオス。
意志のない表層的な知性は、美しさを神秘の森の中に葬っていくのだろうか。
 
水銀灯のような青白い光質。
ある種ケミカルな香を放し、メタリックなミストを彷彿させる曖昧だが確固たる存在感。
しかし、突然回路がショートし、一瞬のうちにその存在が消えてしまうことも容易に想像できる。
まさに美のエッジともいうべきシュールなモダニズム。
近未来、女性の美に対する願望は、真の女性の美しさ/ミューズというテーマを抹殺し、
行き場所のない美のブラックホールへ向かっていくのだろうか。
 
PARFUM GIVENCHY “Puissance vol.0”